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組み手

 投稿者:ロン  投稿日:2010年11月14日(日)20時05分8秒
  私の初期の組み手はとにかく相手の動きを目で追い、相手の動きに対応していた。若い頃はそれなりに間に合ってはいたが、なにかが足りないように感じていた。

その後、相手の動きではなく、相手の意識を追おうとした。相手の動こうとする意をとらえることで、より早く対応出来ると考えたからだ。ひたすら相手の意をとらえようと努力したが、意を感じよう、感じようと思えば思うほど、どんどん意をとらえることが難しくなるような気がした。
それでも相手の動きを目で追うよりは組み手は進歩したが、やはり何かが足りないように感じていた。

最近は相手の意も感じようとしなくなった。相手、という意識があるかぎり、つねに相手にとらわれている自分が居るのが分かったからだ。
相手にとらわれず、自分の内面を見つめることが大切だと今は思っている。自分の内面を静かに見つめることによって、その内面に相手の意が自然に浮かぶことがある。

作為から無為へ   まだまだ未熟で不十分だが、相手にとらわれず、つねに自然な自分でいられる境地を目指していきたい。
 
 

身体背面への意識

 投稿者:ロン  投稿日:2010年10月31日(日)15時29分18秒
  私たちの身体への意識は背面より、前面のほうが強い。身体前面は目で確認できるし、手で簡単にさわることが出来るからだ。背面は目で見ることは出来ないし、触ることも難しい部分が多い。

しかしそれでは身体バランスが崩れやすいし、統一した力(勁力)も出にくくなってしまう。武術的動きや力を身につけるためには背面への意識が必要になってくる。

背面への意識を高めるためには背骨を意識すると良い。背骨は身体背面に位置するるからだ。また背骨を意識することで、身体軸の意識も同時に高まる。さらに丹田についで大切な仙骨への意識にもつながっていく。
 

勁力について

 投稿者:ロン  投稿日:2010年 8月20日(金)14時43分27秒
編集済
  今までいろいろな武術を経験してきたが勁力の体得の考えとして、

勁力は本来人間に備わっている能力で、その感覚を体験させてあげれば比較的簡単に体得することが出来る、とする考えと、
勁力は身体各部の操作を厳密におこなうことによって初めて得られることが出来、体得にある程度の時間を要する、という二つの考え方があるように思う。

二つの考えどちらも方法論として正解だと思うが、私としては前者の考え方で生徒に指導している。そのため強い弱いはさておき、勁力についての感覚は初心者の方が、早く体得する場合も多い。型(套路)をおこなうことなく、簡単な対練によって勁力の感覚を体得するのが可能だからだ。

では型(套路)は何のためにおこなうのか、といえば戦術の理解以外に、勁力の感覚をつかんだ人が、その勁力を太く強靭に育て上げるためだと私は解釈している。これにはやはり時間はかかる。感覚の体得とその強化は別だからだ。

とにかく勁力体得には出来る人間からその感覚を体験することが一番の近道である。

また勁力を体得したからと言って、それだけで相手を制するは出来ない。そんなに武術は甘いものではないことも明記しておきたい。
 

浸透する打撃

 投稿者:ロン  投稿日:2009年 9月 5日(土)17時21分49秒
  相手の内部へ浸透する打撃を打つためには、身体が上手く立てて(力が無理なく抜けて)いなければならない。
しかし打撃が相手に当たる直前まで力が抜けていても、打撃が当たった瞬間に筋緊張をおこしてしまうと、打撃は浸透しない。ここが問題となる。

えてして打撃の先端が相手に触れた瞬間、その衝撃に負けまいとして、身体は過緊張しがちである。その過緊張は本能的(反射)的なものなので、本人も気づかないうちにおきてしまう。

これを克服するためには、いい加減な表現かもしれないが、打撃が当たっても気にしないことである。打撃が当たっても、当たる前(打撃が進行中)と同様の身体の状態を維持するのが肝要である。

よって打撃の練習をする時は、最初は弱い打撃から、目標物に当たっても気にしない状態をつかみ、じょじょに打撃の威力を高めていって、身体を慣らすことが必要になる。
 

立つこと

 投稿者:ロン  投稿日:2009年 8月31日(月)16時19分28秒
編集済
  上手く(大地と強調して)立てなければ、上手く動くことも、そして上手く戦うことも出来ない。

最近、以前にも増してただ立つことの重要性を実感している。上手く立てているように思えても、肩回りの筋肉が緊張していると本人に自覚はなくても、肩回りの筋肉が身体を持ち上げてしまっている(緊張状態)。これでは重力(地球)を味方に出来ない。
上手く立てているとは、身体本来の機能を発揮しやすい状態である。たとえば外形は同じような突きでも、上手く立てている人と、緊張して立っている人では威力がまるで違ってくる。

上記したが、上半身の筋緊張が立つことの弊害になりやすいので、筋肉の鍛錬には注意が必要になる。特に三角筋の緊張は要注意である。

また一人では上手く立てていても、相手を目の前にすると、あるいは相手に接触されると一瞬で緊張状態に戻ってしまう。この点をいかに解決するかが重要な問題になる。
 

雑感

 投稿者:ロン  投稿日:2009年 4月12日(日)10時36分37秒
編集済
  ○自分で良い動き、と感じられる動きは良い動きとは言えない。概ね力みを良い動きと勘違いしているからだ。本当の良い動きは、その本人が良い動きとか、悪い動きとか知覚できない範囲に存在していると思う。

○相手との戦いの中で、手ごたえの無い動きの瞬間がある。本人が何気なく感じられる動きで、相手が何も反応出来ず、打撃、崩し、投げ、が決まる瞬間だ。
手ごたえなく、何気ない動き、この時の動きが、全身連動された良い動きと言える。非常に感覚として掴みにくい瞬間だが、私が理想とし追及する動きがそこにある。
 

身体の力み

 投稿者:ロン  投稿日:2009年 3月27日(金)20時51分27秒
編集済
  身体の力みを消し去り動くことの難しさを痛感している。
何故難しいかといえば、身体の力み(特に軽度の力み)を力感(勁力)として勘違いしがちになるからである。
この感覚の勘違いを脱して、型(套路)で力みなく動くことが出来たとしても十分ではない。なぜなら一人で力むことなく動けても、相手がいると(動きの決まった対練であっても)すぐさま力みが発生する。それくらい我々は力むことに馴染んでしまっている。
力みは言うなれば、アクセルとブレーキを同時に踏んでいるようなに状態のため、効率よい動きとは言えない。
しかし自由な攻防をある程度経験した人ならよく分かると思うが、ある程度の力み(ブレーキ)があっても十分に戦えるし、誤解を恐れずに言えば、戦いにおいて力みがない動きより、戦闘技術(肉体的、精神的)の優劣によって勝敗は決する場合が多いのでは、と思う。
しかし体格、加齢を超える強さを求めるならば、力みのない動きは必要な要素となる。特に内家拳においては必須の要素だと思う。
練精会では力みを消し去る方法を先端の動きに求めている。
そして力みのない動きを確認する方法を我々は感覚対練と呼んでいる。

練精会では組み手(散打)を行う。しかし組み手のあり方についてはよくよく注意が必要だ。強さを意識し過ぎる組み手は即、力みに直結するからだ。
基本功、型(套路)、対練で力まない動きを練習しているのに、組み手で力む癖をつけてしまったら内家拳の動きからどんどん遠ざかってしまう。
この問題点を十分に踏まえて組み手を考えなくてはいけないと思う。強さを考えない組み手、勝ち負けに執着しない組み手を練精会では目指している。
 

先端からの動きの効用

 投稿者:ロン  投稿日:2009年 1月 9日(金)23時57分10秒
  ○腕の先端(手首から先)を意識することによって身体(の中の伸筋群)をつなげることが容易になる。

○歩法も腕の先端につき従う感覚をもっておこなえば、無駄な力みが消え、相手に初動を察知され難くなる。

○勁力を生み出すのは主に体幹部だが、体幹部を力みなく有効に動かすためにも腕の先端への意識が有効である。

○先端を意識することによって、体幹部の力(勁)が漏れることなく、打撃部位に伝わる。

○先端を意識することによって、寸勁時に肩(あるいは身体)を無意識に後ろに引く(反動、予備動作)必要(癖)がなくなり、なお且つ十分な威力がえられる。
 

雑感

 投稿者:ロン  投稿日:2008年 6月 2日(月)10時01分40秒
編集済
  ○太極拳の推手、形意拳の散手、八卦掌の盤手といった接触対練には、相手を自分の動きにシンクロさせる感覚を身に付ける目的も含まれている。
自由な攻防で、相手の動き(攻撃)を自分の動きにシンクロさせ崩す為には距離と速度がポイントとなる。
相手の動きを自分の動きとシンクロさせようとする時、相手との距離が遠すぎても、またシンクロさせようとする動きの速度が速すぎても、相手はその動きに反発し同調しない。
相手の攻撃が自分に接触する直前、そして自分の動きがその攻撃と同等か若干遅いと相手はその動きに無意識的に同調し、崩れてしまう。

○内家拳の組み手の中では、よく塔手(お互いの手首が触れ合った状態)の状態になる。その時接触点からより相手の内部(中心)を感じて、捉えられるものが有利に戦いをはこぶ。接触点の表面をいくら感じても、相手を封じることも崩すことも出来ない。
動きと意識を同調させ、相手の表面(末節)ではなく、中心(根節)を捉える事が大切である。
 

腕の動き

 投稿者:ロン  投稿日:2008年 4月24日(木)10時09分19秒
編集済
  雑感で体幹部(主に背中)の力を阻害する最大の要因は腕の緊張だ、と記した。その緊張を取り去り、体幹部の力を腕の先端まで通す方法はいくつかあるが、ポイントは肩から腕を起動させる意識を持たないことである。
肩(特に上部)に意識があると三角筋や上腕二頭筋に緊張が発生し、体幹部の力の流れが止まってしまう。
では肩から起動させないならどこから腕を動かす感覚が良いのかといえば、一つは指から腕を起動させることであり、もう一つは肘から腕を起動させる感覚を持つことである。
指や肘から腕を起動させることが出来ると、肩周辺の筋群の緊張が発生しにくくなり、本人には力感覚はないが、体幹部の強大な力を腕全体に通すことが可能になる。
腕力に自信がある人ほどこの感覚を掴むのは難しくなるので、常に動きと意識の協調を考えながら稽古しなければならない。
 

雑感

 投稿者:ロン  投稿日:2008年 4月14日(月)19時47分20秒
  ○練精会の勁力の源は体幹部にある。この力を阻害する最大の要因が腕の緊張だ。腕に緊張があると、体幹部の力の流れが止まってしまい、腕力のみに頼ることになる。
体格や年齢を超越する動きを身に付けるため為には、腕を緊張させない方法を学ぶ必要がある。

○強い力と弱い力の違いを意識し、使い分けること。強い力には相手も強い力で対抗する。(人間は無意識に同じ力でつり合おうとする。)強い力から弱い力に変化されると、強い力で抵抗している相手も弱い力に変化させられてしまう。
その瞬間をとらえて技をかける。自分が常に力んでいたら、弱い力を使いこなすことは出来ない。
 

初動

 投稿者:ロン  投稿日:2008年 2月25日(月)17時08分27秒
  感覚的な話だが、技(動き)を行う時、身体のどの部分から動くかを意識するだけで、その動きの作用が大きく異なってしまう。一般的に体幹部から動く、との認識があると思われる。たしかにその通りなのだが(私もそのように解説している)、それを過剰に意識してしまうと、体幹部の力が末端に作用するまで時間がかかり、また末端まで伝わる際に、力(勁)が漏れてしまうこともある。
矛盾を承知で書くと、体幹部からも動くし、また末端からも動く感覚が必要になる。いうなれば、末端が最初に動き、その動きに体幹部の力が同時に働く感覚が好ましい。
相手がいれば相手を押して、いなければ壁を押して、力の伝達速度や威力等を確かめながら初動の感覚を掴むことが重要である。
 

推掌

 投稿者:ロン  投稿日:2008年 2月11日(月)16時43分50秒
  推掌で相手を押し飛ばす時は、無意識に足や腰から力を手に伝えようとする。しかし足や腰からの力は相手に感知されやすく、相手も同じ足や腰からの力で抵抗するため、力勝負になり、よほど力の差がないと相手を押し飛ばすことは出来ない。
要点は掌の接触点にある。接触点を出来るだけピンポイントで感じ、そのポイントのみをそっと押すようにすると、相手は力の発生源を感知できず、容易に押し飛ばすことが出来る。
 

雑感

 投稿者:ロン  投稿日:2007年12月 5日(水)10時54分49秒
  ○その動きに必要な筋肉のみ働かせ、必要ではない筋肉は休ませる。こう書けば簡単なことが、いざ実行しようとした時、いかに難しいことになるか。つねに伸筋主体の動きを意識する必要がある。

○相手の攻撃の瞬間、いかに自分の力を抜けるか(屈筋を緊張させない)が、内家拳では重要である。接触した瞬間、こちらの力が抜けていると、相手はよりどころを失い、十分な動きが出来なくなってしまう。

○相手の突きや蹴りの瞬間に中に入って内家拳の間合いに入る。相手の攻撃を下がってかわすと連打、連攻のきっかけを与える。自分からあせって中に入ろうとすると、カウンターのリスクにさらされる。相手の攻撃と同時に中に入るのが好ましい。その為には相手の手足を見てはいけない。胴体を広く見て、肩、骨盤の動きに注意する。
 

部分と全体

 投稿者:ロン  投稿日:2007年 9月 4日(火)17時44分17秒
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  武術では部分の動きより、全体的な動きを求める。その方が武術的に効率の良い動きになるからだ。練精会では全体的に動ける身体のことを連動体と表現している。身体を連動させる為には、逆説的な表現だが、身体のパーツが他のパーツに影響されることなく滑らかに動かすことが出来なければならない。身体のバーツがそれぞれ独立して動くことが出来て初めて身体を連動させることが出来る。
(例えば胸郭と骨盤を切り離して動かすことが出来なければ、真の意味で胸郭と骨盤を連動させて動かすことは出来ない)
私自身も身体の癒着が多く、切り離して動かすことに苦心していが、思うように動かせない身体を自覚するのも大事なことだと思う。
 

伝統武術

 投稿者:ロン  投稿日:2007年 8月13日(月)17時11分11秒
編集済
  体幹部の動きを四肢に伝えることが、練精会の身体操作法の根幹である。その際、体幹部で勁を発生させても骨盤、肩甲骨の位置が定まっていないと勁が腕や脚に十分に伝達されない。(骨盤、肩甲骨が緩んでいると、その緩みで体幹部の勁が分散されてしまう)
この体幹部と四肢を繋げる身体操作についてだが、骨盤部については以前より理解していた(後日、自分の理解がまだ浅かったことに気付かされました)。しかし、肩甲骨の位置と、まだどこかしっくりこないところがあってより良い位置、操作法を模索していた。
最近、伝統的な楊式太極拳を学び始めるようになって、肩甲骨の位置、操作法が霧が晴れるように明確に理解出来るようになってきたようだ。改めて伝統武術の素晴らしさを実感した。年月の積み重ねによる極めて合理的な身体操作法が伝統套路の中に含まれている。
伝統楊式太極拳との出会いに心から感謝したい。
 

聴勁

 投稿者:ロン  投稿日:2007年 7月14日(土)20時12分32秒
  練精会では粘距離での戦闘を重視するため、聴勁訓練を重視している。聴勁の要点は以下の三点である
①相手の力の流れを感じ取る(力の方向、力の強弱)
②相手の意識の流れを感じ取る(次の動きの予測、そして誘導)
③相手の反射の流れを感じ取る(接触点から相手の反射を引き出し、その反射を利用し、打撃、崩し、投げ等につなげる)
 

雑感

 投稿者:ロン  投稿日:2007年 5月 9日(水)21時14分24秒
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  ○突きは胸で、蹴りは腹でおこなう感覚が重要。

○沈肩、墜肘は肩甲骨を下方向に回転させる作用によって自然に生じる。

○上腕と前腕、大腿と下腿をそれぞれ逆方向へねじることによって生じる力がある。
 

身体のリンク

 投稿者:ロン  投稿日:2007年 5月 9日(水)20時59分25秒
  以前にも書いたが、練精会では体幹部の動きを重視している。体幹部の動きを四肢に伝えることで統一した力(勁力)を生み出すことが出来るからだ。しかしただやみくもに体幹部を動かしても勁は生まれない。体幹部を統一して動かす必要がある。その為にはまず骨盤部と胸郭部をリンクさせることだ。骨盤部と胸郭部の動きを合わせることで、体幹部から統一した勁が生じる。その勁を肩甲骨、股関節の作用によってさらに増幅させる。そして肘、膝の中節、手、足の末節に伝えていく。
このとき注意しなければならないのが腹部で、腹部が緩んでいると胸郭と骨盤はリンクしない。腹筋ではなく、腸腰筋によって腹部を束ねる必要がある。
 

慢練

 投稿者:ロン  投稿日:2007年 4月16日(月)22時25分50秒
編集済
  練精会では慢練を重視している。慢練の意義は
○ゆっくり動く事によって全身協調を細部にわたって認識しやすい。(外三合)
○重心移動の細かい感覚を確認しやすい。(重力との協調)
○途切れない連続する動きを体得しやすい。(各関節の連動性)
○神経回路が繋がりやすい。(意念による細部にわたる身体の制御)
○意識と動きと呼吸の協調が図りやすい。(内三合)
等がある。
 

雑感

 投稿者:ロン  投稿日:2007年 4月16日(月)21時57分6秒
編集済
  ○部分的な動きは、動いている部分と動いていない部分の差によって、事の起こりが相手に読まれやすくなると思う。全体的な動きは、身体の全てが一斉に動く為、何処から動いたのか非常に分かり難く、相手が混乱し、事の起こりが読みづらくなると思われる。

○腸腰筋の作用によって、両脚が引き上げられると、身体が宙に浮かんでいる感覚をおぼえる。静止から瞬時に動く為には、この感覚が大事だと思う。

○突きにも蹴りにも股関節の内旋、内転筋群の働きを意識する必要がある。

○相手の突きなり蹴りなりの防御の際、手足だけではなく、胴体も動かして(伸縮、開合、捻転)防御する。この胴体の動きが蓄勁となり、防御即強力な反撃に繋がる。

○組み手の際、相手の呼吸を意識する。息を吸いながら攻撃する人はほとんど居ない。息を止めるか、あるいは吐きながら人は攻撃してくる。相手の動きを読む練習になる。
 

とらわれの心

 投稿者:ロン  投稿日:2007年 4月 9日(月)19時19分16秒
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  組み手で心がとらわれてしまう時がある。しまった、という過去にとらわれた心、こうしてやろう、という未来にとらわれた心。組み手の最中にほんの一瞬だが心が現在から、過去や未来にとらわれる瞬間がある。その瞬間、心と身体に隙が生じてしまう。
組み手で大事な事は、今ここにある自分だけを感じること。一瞬でも過ぎ去った過去や起こってもいない未来にとらわれてはいけない。過去にとらわれると居付きが生じ、未来にとらわれると作為的な動きが生じてしまう。
つねに自我(表面的の自分)ではなく、自己(本質的な自分)で戦いに臨まなければならない。自分であって自分ではない心が大切だと思う。
 

 投稿者:ロン  投稿日:2007年 4月 8日(日)22時28分42秒
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  型(ここでは単式、套路のこと)を行う意味とは何であろうか。人それぞれの解釈があり、私がこれから述べる解釈も私個人のものであることは最初に断っておきたい。あくまで練精会の型の意味の説明である。
型の意味は大きく分けて二つに分類される。
1、身体操作法の習得
2、戦闘技術の習得
1の身体操作法の習得とは、日常動作からその門派が要求する動きへの変換を図ることである。具体的には
○部分的な動きから全体的な動きへ(特に体幹部の動きの開発)=連動体
○過度な筋緊張から、適切な筋緊張へ(必要な筋肉のみ使用し、不必要な筋肉は一切緊張させない)=脱力体
○神経系の開発=意念の強化
等があげられる。

戦闘技術の習得としては
○正面、側面、背面の位置取りの習得。
○点、線、面によるの戦術の理解。
○同一の身体操作による打撃、関節、投げの応用性の習得
等があげられる。
上記の説明は全体的な部分のみであり、そのから細部へ移行していく。
練精会では以上の意味を型に求めている。そして型で培った動きを対練、組み手において検証し、不足したものがあれば、また型に戻って高めていく。
 

点の攻撃、線の攻撃

 投稿者:ロン  投稿日:2007年 4月 8日(日)16時39分28秒
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  練精会では打撃による攻撃を、点の攻撃、線の攻撃に分類している。点の攻撃とはピンポイントで直接相手攻撃することを言う(例えばボクシングの技術)。
線の攻撃とは、例えば手による攻撃であれば、手を腕全体と意識し、攻撃の可変性を追及する事である。つまり手=点、腕=線の発想である。点と線の攻撃に優劣はない。どららが優れているわけではなく戦術の違いがあるだけだ。練精会では線の攻撃を主に選択している。
線の攻撃は、武器による攻防を思い浮かべるとイメージしやすいかも知れない。剣や棍は形状的に点ではなく線である。直接相手を攻撃することも出来るが、相手の剣や根に接触し、相手の動きを封じながら、そこから相手の剣、根をすり抜け、あるいは巻き込みながら攻撃に転じることも出来る。練精会ではこの動きを腕、あるいは脚で行うことを線の攻撃と呼んでいる。
また防御時においても、相手の攻撃を線の防御で受け、そこからすり抜け、巻き込み等によって反撃に転じやすく、攻防一体の動きを体現しやすいと思っている。
難しい点として、線の攻撃は相手との接触によって始まるので、打撃距離が制限(短い)され、点の攻撃の様な威力を求め難いことだ。よって必然的に寸勁の技術が求められる。練精会では特別、寸勁の練功法はない。基本功、套路の要求する身体操作がそのまま寸勁に繋がっているからだ。ただしそれ相当の威力を身につけるには時間がかかるのも事実である。前に組み手も大切だが、それ以上に基本功、套路が重要と書いたのは上記の理由による。内家拳では寸勁を使いこなせる身体でなければ、組み手の進歩も望めないからだ。
練精会では線の攻撃、そして今回説明しなかったが、面の攻撃による攻防を接触攻防と呼んでいる。
形意拳、八卦掌、太極拳の套路は線、面の攻防から解釈することが大事だと思っている。
 

組み手研究会

 投稿者:ロン  投稿日:2007年 3月29日(木)20時25分42秒
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  前回の続き。
札幌へ帰ってからも、他流儀の方々との組み手の交流は続いた。札幌では私の武術と親戚関係にある内家拳の師範の方、アメリカに本部のある空手団体の師範の方と組み手研究会を結成し、月一回のペースで数年、交流組み手を行った。
札幌での組み手研究会はある意味で東京の研究会より密度の濃いものになった。人数も少なく、信頼性も高かったので、組み手も遠慮しないで行うことが出来たからだ。しかし、どんなにハードになってもお互い勝ち負けではなく、技の研究を主体としていたので、終わった後の満足感は最高だった。さまざまなルールで組み手を行った。フルコンタクトスタイル、フルコン+顔面寸止め、素面顔面掌打あり、スーパーセーフ着用何でもあり等、技の研究の為にいろいろ試してみた。私が幸運だったのは、内家拳の師範とは内家拳同士の組み手(同質の戦術)、空手師範とは異なる組み手(異なる戦術)の両方を同時に学ぶことが出来たことだ。そして何よりお二人の師範の本当に素晴らしい実力が何より私には勉強になった。同年代の師範達に良い刺激を受けながら、老師に学んだ事を自分の中で消化(少しは)し、栄養とすることが出来たように思う。
東京での新宿打撃研究会、札幌での組み手研究会、この貴重な経験がなければ今の自分はないと思っている。
なにも組み手が全てだと言っている訳ではない。組み手は武術の稽古の中の一つの要素にすぎないと思っている。組み手以上に基本功、套路、対練は大切な要素だ。ただ何度かはリアルな攻防を経験しておかないと、自分の培った動きを生かすことは(肉体的にも精神的にも)難しいのでは、と考えている。
私に素晴らしい経験をさせてくれた東京、札幌の師範に心から感謝したい。
 

新宿打撃研究会

 投稿者:ロン  投稿日:2007年 3月26日(月)16時45分45秒
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  8,9年前に一年弱ほど、新宿打撃研究会という団体に参加させていただいて、いろいろな方と組み手の研究をした時期があった。
この団体は組み手の研究を流派を超えて行おうと、空手各派(フルコンタクト、伝統、防具、グローブ)、ボクシング、キックボクシング等の方々が集まって結成されて、月一回のペースで活動をされていた。知人の紹介で私も参加することになったが、中国武術以外の方と本格的な組み手をするのは初めての体験だった。この経験は多少天狗になりかけていた私にとって貴重なものになった。
参加されていた人たちはみな素晴らしい実績の持ち主で、繰り出される技のスピード、破壊力は、今まで味わえないものであった。
そんな素晴らしい人たちとの様々なルールによる組み手を通して、どうすれば内家拳の攻防技術(接触攻防)を実際に通用させることが出来るのかをより深く探求する事が出来た。
素早い突き蹴りに対し、いかに接触して絡みつくか、また接近戦時の肘打ちや首相撲からの膝蹴りの対処の方法等、色々と勉強になった。(と同時に他の流派の凄さ、素晴らしさも知る事が出来た。世界は広い)彼らとの組み手が無ければ私は井の中の蛙のままでいたことだろう。
そしてまた彼らとの攻防を通して、老師の素晴らしい教えの数々が初めて理解出来たように思えた。(せっぱ詰まった状況でしか理解できない情けない弟子でした。老師は毎回教えて下さっていたのに)

みなさん本当に素晴らしい人たちだった。組み手はハードでも雰囲気は実に愉しげでソフトで、みんな強さを誇らず、相手を尊重していた。打撲だらけの体での飲み会も懐かしい思い出だ。いつか彼らにあったらもう一度組み手を楽しんでみたい。みんな元気だろうか。
 

本パート2

 投稿者:ロン  投稿日:2007年 3月18日(日)09時49分51秒
編集済
  武術の栄養になった本のパート2です。

「日本の弓術」オイゲン・ヘリゲル
ドイツ人の作者の日本の弓術の修行記ですが、ヘリゲル氏を通して、武術の思考、精神性の高さを実感できる素晴らしい本です。
「あなたがそんな立派な意志をもっていることが、かえってあなたの第一の誤りになっている。あなたは頃合よしと感じるかあるいは考える時に、矢を射放とうと思う。あなたは意志をもって右手を開く。つまりその際あなたは意識的である。あなたは無心になることを、矢がひとりでにはなれるまで待っていることを、学ばなければならない」
ヘリゲル氏の師の言葉です。

「私のニッポン武者修行」C.W.ニコル
著名な作家、ニコル氏の伝統派空手修行記です。動く禅、として空手を学ぶ作者の視点が、武術の素晴らしさを十分に伝えています。私は空手は門外漢ですが、当時の空手事情が詳しく書かれており、大変面白く読めました。有名な先生の逸話が沢山載っていて、また中国武術についても興味深いエピソードが紹介されています。
読みようによっては文化論としても楽しめると思います。

「武の心」津本 陽
前にも紹介した作者の古武術体験記や対談が収められた本です。様々な剣術、柔術が興味深く紹介されています。その中でも個人的には柳生新陰流の柳生延春氏と、またなんといっても大東流合気柔術の佐川幸義氏の部分が印象に残っています。

「動く骨(コツ)」柏野忠夫
多分、私が理解している形意拳の外三合の理論と、最も共通していると思われる身体操作法の本です。この本を読んで、自分の考えを再度まとめ上げる事が出来ました。一部難しい表現もありますが、じっくり読んで、自分の動きと照らし合わせてみるとよいかと思います。

以上ですが、多分上記の本は古本として、ネットや古本屋で安価で購入出来ると思います。
練精会の会員さんで興味のある人は、「日本の弓術」だけでも読んでみて下さい。かならず武術修行の励みになると信じています。

番外「ロング・グッドバイ」レイモンド・チャンドラー 村上春樹訳
この本は武術とは何の関係もありません。私の個人的好みです。ハードボイルドの永遠の名作が村上春樹の名訳で、蘇えりました。久し振りに大好きなマーロウとテリーに逢えて至福の時を過ごしました。
大学時代、尊敬する人物を聞かれると、ブルース・リー、ロレンス(アラビアの)、そしてフィリップ・マーロウと答えてました。もしハードボイルド・ミステリーに興味のある会員さんがいたら是非読んでみて下さい。最高の小説です。
 

コウ歩とハイ歩

 投稿者:ロン  投稿日:2007年 3月 8日(木)21時26分37秒
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  内家拳は接近戦を重視する。以前にも書いたが腕や手を相手に絡めて、相手の攻撃を封じ(同時に相手を固定し)、そこから打撃、関節、投げといった攻撃に移る。
相手の動きを封じる際に、腕だけではなく脚も用いる事によって更に効果を高める事が出来る。
この脚の用い方をコウ歩とハイ歩(漢字が見つからないのでカナで書きます)と言う。コウ歩とは脚の内旋、ハイ歩とは脚の外旋の動き(本当はもう少し複雑)である。
腕を相手の腕に接触すると同時に、コウ歩あるいはハイ歩を使って相手の脚に接触し絡める事によって、相手の動きを完全に封じ固定することが可能となる。
コウ歩、ハイ歩共に相手の脚の外側、内側どちらからも接触することが可能で、相手の動きを封じる以外に用い方によって、打撃(蹴り)、崩し、脚払いに変化する。
コウ歩、ハイ歩を用いる時は足先ではなく、股関節から動くことを意識することが重要である。股関節を意識する事によって強力な体幹部の力が相手に伝達される。
内家拳にとっては非常に重要な動き(歩法)である。
 

沈身

 投稿者:ロン  投稿日:2007年 1月24日(水)19時43分27秒
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  形意拳では沈身は重要な身体操作法の一つだ。ある身体操作によって身体を沈める事によって運動エネルギーを生み出す方法なのだが、今まで打撃中心に沈身を使っていたが、認識が足りなかったことに最近気付いた。
沈身により身体を一つにまとめあげ、その運動エネルギーを相手に伝達させるのが、沈身を用いた打撃方法だが、沈身は他に応用法がある。歩法だ。
歩法に沈身を用いる事で、地面の反作用(地面を踏みしめる事で推進力を得る事)に頼らない歩法が可能になる。以前よりその事は理解していたし、滑りやすい床で靴下を履いて練功もしていたのだが、不十分だった。沈身の用い方が足りなかったのだ。
滑るような歩法を滑歩という。この滑歩の際に沈身を活用することでより早くより相手にとって反応しづらい歩法(動き)が生まれる。
感覚的な話だが、動く時重心の乗っている足の意識を消しながら(滑歩)、沈身をかけると、身体は沈みながら同時に浮き上がる感覚となり、脚に力感を感じることなく素早い移動が行われる。その際、脚に力感がなく浮かんでいる感覚なので、全身が瞬間的に自由に動く事も可能になり、より身体の可能性を引き出してくれる。
武術とは本当に奥深いものだ。上記などはすでに承知している方も数多くいるとは思うし、私もこれから深めていく段階なので、例えば散打などに自由自在には使えないが、それでも自分の感覚として理解できるのは嬉しいことだ。この自分の感覚として理解できることが武術を学ぶ醍醐味の一つだと思う。
(注)
沈身といっても同じ形意門でも解釈は様々であり、あくまで私(練精会)の解釈として書き記している。
 

体幹部と四肢

 投稿者:ロン  投稿日:2007年 1月 8日(月)21時18分18秒
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  前に書いた「突きについて」の補足説明も兼ねて、体幹部と四肢の意識について説明してみようと思う。
練精会の打撃は体幹部の動き(伸縮、開合、螺旋)にその威力を求める。(もちろん四肢の動きも必要だが)
その為、当初は四肢の動きをあまり意識せず、体幹部の動きに四肢がつき従う感覚で練功を行う。四肢の動きに意識がいってしまうと、体幹部の動きが十分に開発されない為だ。
ただここで注意したいのは、体幹部の動きを過剰に意識しすぎると、体幹部が動いた後に遅れて四肢が動くようになってしまうことだ。(例えば突きなら、体幹部が動いてから腕が遅れて動いてしまうこと)こうなると体幹部の力は四肢には全く伝わらないし、相手にも見切りやすい動きになってしまう。あくまで体幹部と四肢の動きは一致させなければならない。
そこである程度体幹部の動きを掴んだ後は、四肢の動きに体幹部がつき従う感覚にシフトさせると良い。当初とは反対の感覚だ。体幹部の動きを掴んだ後なら、四肢がどう動こうと、体幹部は伸縮、開合、螺旋の動きで四肢の動きと協調してくれる。
これで全身が一致して動くようになり、たとえ第三者が遅く見えるような動きでも、相手には反応できない素早い攻撃として映る。
また四肢の動きに体幹部がつき従う感覚の打撃は、突き、蹴りが当たった瞬間は先ず四肢(突きなら腕、蹴りなら脚)の威力が伝わり(表面にダメージ)、一瞬遅れて体幹部の威力が伝わる(内部にダメージ)。
そして練功がさらに進むと四肢も体幹部も意識することなく、何気なく出した突き蹴りに絶大な威力をともなうようになる。動きを意識しない自然体の段階だ。この段階は私自身到達していない。今だ、体幹部や四肢の動きに意識が囚われている。
ただいつか到達できると信じながら試行錯誤しておこなう練功が、私には何物にも変えがたい楽しみになっている。
 

小説

 投稿者:ロン  投稿日:2006年12月12日(火)16時47分9秒
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  今回は武術を題材にした小説を紹介します。

「孤拳伝」全十巻 今野 敏
香港のスラム街で生きる為に武術を身につけた少年が、様々に武術家との戦いを通して、真の武術家へ成長していく姿を描いた小説です。作者も言っていますが、現代版宮本武蔵をイメージして書かれたようです。
宮本武蔵の武術は剣でしたが、この主人公の武術はなんと形意拳なのです!小説で形意拳を使う主人公はこの「孤拳伝」が唯一ではないでしょうか。作者は空手の師範もされているので戦いのシーンは説得力があります。ただ形意拳は学んだ事はないらしく、一部分?のシーンもありますが、主人公が五行拳や虎形拳を使って戦う姿をみると、つい嬉しくなってしまいます。
今では手に入りづらい本かも知れませんが、たまに古本屋で見る事があります。形意拳が中心の練精会にとっては必読の書かも知れませんね。笑
この作者は他にも多数の武術小説を書いていますが、中国武術が活躍する話としては「拳鬼伝」シリーズの一作目に主人公(古流空手)の相手役として八極拳の使い手が登場しています。総じて中国武術には好意的な方のように感じます。

「鬼の冠」
「黄金の天馬」共に津本 陽
沢山の歴史小説、剣豪小説を書かれた作者の作品です。前者が大東流合気柔術の武田惣角、後者は合気道創始者 植芝盛平(小説では高島隆之助)の生涯を描いた傑作長編です。
武術シーンは剣道をされ、また一時期、合気柔術の佐川幸義氏の門弟でもあった作者ですから説得力は十分です。しかし武術シーンより、武田、植芝両氏の壮絶な生き様に感動を覚えます。どららも本屋で手に入りますので練精会の会員さんは是非読んでみて下さい。おすすめです。

「沈黙の覇王」暗黒拳伝第ニ巻  高千穂 遥
SF小説が多い作者の武術小説です。たしか全三巻のシリーズで一作目が中国武術、三作目が柔術、そして紹介する二作目が空手をメインに描かれています。私はこの二作目が一番気に入っています。私は空手には詳しくありませんが、作者の「空手の、空手としての意味を必死の思いで伝え、後世に残そうと努力している偉大な空手家が世界に存在する。この本は彼らのために書いた」という思いが伝わってきます。
練精会の会員さんは空手経験者が多いですが、読む価値有りの出来です。しかしこの本もちょっと手に入りづらいかも知れませんが、古本屋やインターネットを当たってみて下さい。

しんしんと雪の降る夜、ゆったりと酒を飲みながら武術小説を楽しむのもいいものです。
 

突き

 投稿者:ロン  投稿日:2006年12月 4日(月)19時44分38秒
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  突きについての考察。
まず腕の脱力が必要。ここで言う脱力とは突く行為に必要な筋肉以外は休ませること(拮抗筋、対立筋)。また肩周辺の筋の弛緩(肩甲骨の稼動範囲の拡大による突きの伸び)も必要。
脱力が進むと肩甲骨もろとも腕が下に引っ張られている感覚(重力感覚)を感じる。この状態を腕を下げている時だけではなく、上げている時も常時感じられなければならない。
このような脱力の状態で突きを放つと、突く感覚ではなく鉄球を放り投げる感覚に近くなり腕の重さを拳に乗せやすくなる。
次は体幹部を動かし、腕の重さに体幹部の重さも乗せていく。体幹部の動きとして、伸縮、螺旋等がある。伸縮の動きを行うと、腕の伸びに体幹部の伸びが加わり、相手を貫く(浸透する)突きになる。螺旋の動きを行うと、体幹部から螺旋の動きが腕に伝わり、震動する(衝撃が波紋のように伝わる)突きになる。
また今回は省略するが、突きの時は同然下半身の動きも重要である。
最後に近、粘距離の突きについて。
基本的には上記の方法と変わらないが、腕の伸縮が使えない為、腕の動きを体幹部で代用する。(伸縮、螺旋等)
その際、腕を固めて体当たりのようには行わない。あくまで脱力は崩さず、腕が空洞になっており、その中を体幹部から発射された鉄球が拳にぶつかる感覚が重要である。伸縮でも螺旋でも行える。また重力を活用することも忘れてはならない。
以上になるが、あくまで練精会の突きの考察なので、会員の方はこれがすべてだと思わないでほしい。世の中にはまだまだ素晴らしい突きの理論が数多く存在すると思う。
 

 投稿者:ロン  投稿日:2006年12月 2日(土)16時40分50秒
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  私の武術の栄養になった本を紹介します。練精会の会員さんには是非呼んでもらいたい本です。
「合気道修行」塩田剛三
言わずと知れた達人塩田剛三氏の著作です。この本では姿勢による力の伝達について学ぶことが出来ました。口語体で分かりやすく養神館合気道の集中力、呼吸力を説明されています。集中力、呼吸力は私の個人的な意見ですが、形意拳の六合の理論と共通項が多々あるように思われます。また「実戦での合気道は当身が七分、投げが三分」の言葉が印象的でした。

「スーパーボディを読む」伊藤 昇
体幹部の使い方(本では胴体力と表現されています)が私の学んだ武術とよく似ています。伊藤氏は胴体の動きを伸ばす/縮める、丸める/反る、捻る、に分類し、それぞれの動きにすぐれたスパースターを紹介しています。
この伸ばす/縮める、丸める/反る、捻る、と練精会の伸縮、開合、螺旋(捻転)とはほぼ同一の考えのように思えます。

「原初生命体としての人間」野口三千三
脱力に関してもっとも感銘を受けた本です。野口体操の理論を説明した本ですが、内家武術の解説書と言ってもよいほど共通点があります。
たとえば「運動能力が高いということは、その動きに必要な状態の差異を、自分のからだの中に、自由につくりだすことができることである」という言葉等です。

「透明な力」
「合気習得への道」ともに著者は木村達雄
精神面でもっとも感銘を受けた本です。有名な大東流の佐川氏のお弟子さんが書かれた本です。生涯にわたって武術を高め続けられる可能性を私はこの本で学びました。
 

燃えよカンフー

 投稿者:ロン  投稿日:2006年11月30日(木)20時23分41秒
  今回は武術ではなくTVドラマ「燃えよカンフー」について書いてみようと思います。
当時、ブルース・リーの熱狂的ファンだった私はリーの原案から製作された「燃えよカンフー」をわくわく期待しながらパイロット版(日曜ロードショーだったかな?)を見たものです。
んー、なんじゃこれは?見終わった後の感想です。
しょぼくれた主人公(もと少林寺の修行僧)が開拓時代のアメリカで人々に人生哲学を諭しながら旅を続ける物語なのですが、タイトルとは逆で主人公はまったく燃えません。どんな迫害にあっても常に静かなのです。そしてやっと始まるカンフーアクションは・・・・ブルース・リーのような激しい動きを期待していた私の目に映ったのは、キャラダインの燃えよどころか見る者の気持ちを著しく萎えさせる、へろへろ、くねくね、ふらふらカンフーだったのです。
だめだこりゃ、と思いつつも暇な大学生だった私はその後始まったTVシリーズを毎週何気なく見続けました。キャラダインのカンフーは相変わらず近所の酔っ払いおやじのようなへろへろカンフーですが、そのうちに人生哲学にとんだストーリーにハマリこんでいる自分を発見したのでした。
特に主人公ケインが毎回回想する少林寺の修行時代の老師との哲学的会話には影響されました。「コウロギよ(老師にケインはこう呼ばれていた)・・・」で始まる老師と会話の数々。
「先生、世の中が平和ではないのにどうやって平和への道を歩けばよいのですか」「コウロギよ平和は世の中にあるのではない。道を歩む人の心の中にこそ存在するのだ」こんな具合です。
ストーリーにハマッテいくとあら不思議、あのへろへろカンフーまでなんか味のあるものに感じられてくるではありませんか。そのうちあのしょぼくれたデビット・キャラダインまで好きになっていました。
よく「燃えよカンフー」の主役が当初通りブルース・リーだったら・・・という話を聞きますが、私もブルース・リーの「燃えよカンフー」を是非見たいと思いますが、その思いと同じくらいキャラダインの「燃えよカンフー」でよかったとも思っています。
「ただ己を空しくし、宇宙と一体となること、それが求める道です」物静かに語る(本人も吹き声の声も)キャラダインこそケインのキャラクターにベストマッチです。
タランティーノ(キル・ビルの監督)は映画「パルプフィクション」の殺し屋にこんなセリフを吐かせました。「俺は殺し屋をやめて燃えよカンフーのケインみたいに真実を求めて旅をしたいんだ」
当時(そして現在)の私も同じ思いでした。思えば中国武術とカイロプラクターの道を志したのは「燃えよカンフー」の影響が大きいように思います。(ブルース・リーは別格です)

今なら大きなレンタルビデオ屋へ行けば「燃えよカンフー」を置いているところもあります(セカンドシーズンまでですが)。時間がある会員さんはだまされたと思って是非見くださいい。(くれぐれもアクションには期待しないように)
もしかしたら人生に影響を与える出会いになるかも知れませんよ。
 

腕による打撃

 投稿者:ロン  投稿日:2006年11月30日(木)18時03分2秒
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  腕による打撃について解説。まず腕による打撃部位だが、上腕(外側、内側)、肘、前腕(外側、内側)、手首、手(各種の手形)に分類できる。このように腕には多数の打撃部位が存在する。ではこの多数の打撃部位をどのようにして選択し、どのように使用すればよいのだろうか。
答えは二つ、方向と距離である。
方向とは打撃の方向性のことで、上、下、正面、外から内、内から外、に分類できる。
上から下への打撃  手、前腕、肘、上腕
下から上への打撃  手、手首、前腕、肘
正面からの打撃   手、前腕、肘、
外から内への攻撃  手、前腕、肘、上腕
内から外への攻撃  手、手首、前腕、肘、上腕
打撃の方向が決定すると上記のような部位が使用可能になる。そして距離(遠、中、近、粘)によってさらに攻撃部位は限定される。
一例をあげると 方向は外から内、距離は近距離だとすると、攻撃内容は前腕を使用した後頭部、側頭部、あるいは頚部への振り打ちを選択できる(また肘も選択可能である)。これが粘距離であれば上腕を使用、また遠距離であれば手(拳、手掌)を使用し、前腕と同じように後頭部、側頭部、頚部を攻撃する。
このように腕に無数に存在する打撃部位の名前(技の名前)を意識するより、方向と距離を意識する事を私は重視している。
 

接近戦の腿法

 投稿者:ロン  投稿日:2006年11月12日(日)21時58分57秒
  内家拳の腿法についての考察。内家拳の腿法は接近戦において威力を発揮する。蹴りとは書かず腿法と記したのは、腿法には蹴り以外に足払いや足による崩しの技法が含まれる為であるが、今回は蹴りに限定して解説したい。
接近戦の蹴りの為、基本的には腰より下の部位(腹部、急所、大腿部、膝、脛、足首、足の甲)を攻撃ポイントとして狙う。だたし顔面を正面から狙う場合もあり、その際は両手を相手の腕に絡ませ引き寄せ(相手の顔面をより低い位置まで引き寄せ)、固定し踵で顔面を、またはつま先で喉を狙う。
さて接近戦の蹴りだが、蹴り足や軸足の動きよりも、骨盤の動きを重要視する。短い距離で威力を出す為にはより体幹部から動く方が有効になるからだ。例えば直線系(前蹴り系)で考えると、腹部をやや上方から下方へ突き刺すように蹴る場合は、骨盤を上方から下方へ縦回転させそのトルクを蹴り足に伝える。また逆に下方から上方へすり上げるように蹴る場合は骨盤を下方から上方に縦回転させる。この骨盤操作によって蹴り足の大腿四頭筋の筋力をあまり使わなくても威力のある蹴りを接近戦ではなつことが可能になる。
また回転系(回し蹴り系)の蹴りであれば、接近戦では全身を使って軸足や蹴り足を回転させることが出来ないので、骨盤のみを回転させそのトルクを蹴り足に伝え、最小減の動きで膝側面や大腿部側面を狙う。
骨盤を活用した蹴りは、見た目には直線系も回転系も威力のない軽い蹴りに見えるが、熟練者になれば重く浸透する蹴りになる。
またこの蹴りの威力を高め、また命中率を高める為に相手を固定させることも重要になる。先程記したが自分の手(両手でも片手でもよい)を相手の腕に絡て固定する方法や、相手の足の甲を踏んで固定しながら蹴る方法等がある。
 

粘の技法

 投稿者:ロン  投稿日:2006年10月25日(水)21時09分58秒
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  内家拳は基本的に接近戦(もちろん、遠、中距離の戦い方もある)に重点を置いている。今回は接近戦に持ち込む戦術について考察してみようと思う。
①相手が攻撃してきた場合
相手の打撃(突き、蹴り)を返さないことが重要。例えば突きの場合、相手の突きを前腕、手首で粘りつくように受け、突いた手を戻させないよう手首、掌の部分で引っ掛けてそのまま接近戦に移行する。
よく素早いパンチを掴む事は不可能と言われるが、確かに掴む事は難しいが、突きのスピードを腕の摩擦で減速させ、そして掴むのではなく引っ掛けることを心掛けると確率は高くなる。その際、両腕を前方に伸ばす構えの方がやりやすい。
また蹴り(下段、中段の回し蹴り)に対しては、自分の足を相手の蹴りに交差させ、蹴り足を返さずそのまま接近戦に移行する。交差の方法だが、空手やキックのすね受けに似ている。すね受けとの違いは股関節を内旋、外転させ、相手の蹴りを自分の大腿部で摩擦させそのまま絡めていく点である。もちろん蹴りを腕でもチャッチは可能だが、片腕がその間使用出来なくなるので、両腕を使える足での交差を優先する。(ただし前蹴り系については腕,手首の方が交差しやすい)
②自分から攻撃する場合
いきなり接近すると相手のカウンター攻撃のリスクにさらされる。そこで例えば、低い蹴り(相手の脛、膝、大腿部を狙う)でカウンターのリスクを軽減させ、ほぼ同時に相手の手、手首、あるいは前腕にこちらの手、手首を接触し、相手の攻撃のリスクをさらに軽減させて接近戦に持ち込む。
相手の腕に接触する方法は上からかぶせる、外から絡める、内から絡める等がある。
もちろんこれ以外にも接近戦に持ち込む戦術はあるが、代表的な戦術として紹介する。ただあくまで接近戦に持ち込む方法であって接近戦に勝利する方法ではない事を理解してほしい。
 

雑感

 投稿者:ロン  投稿日:2006年 8月 6日(日)22時11分26秒
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  練精会の組み手(散打)の特徴は相手を打撃することより相手にいかに触れるかを重視する。触れる部位に制限はない。相手の身体に、手で触れる、前腕、上腕、肩、で触れる。胸で触れる、腹、背中、腰で触れる。大腿部で触れる、膝、脛、ふくらはぎ、足で触れる。このように相手の体に触れ続けることによって相手の打撃、投げ、関節技を封じていくよう心がける。そしてその体勢から打撃(寸勁),投げ、関節技を相手の反応によって繰り出していく。攻撃する部位にも制限はなく、上記部位をすべて使用する。
この戦術が他の戦術より優れているとは言えないが、自分の経験からある程度の有効性は確信している。
そしてこの戦術に必要な身体操作法を練精会では五行拳に求めている。私自身まだ満足出来る五行拳を打てるわけではないが、五行拳を練り続けることによる得られる可能性の深さは僅かながら理解できるようになりつつあるようだ。
 

雑感

 投稿者:ロン  投稿日:2006年 3月28日(火)20時34分4秒
  最近、生徒に拳サポーターとレッグガード着用で自由に攻撃させ、自分は二歩以上動くことなく攻撃を封じる稽古をよく行う。至近距離から手加減抜きで飛んでくる突き蹴りを素面で二歩以上動かずに封じるのは予想以上に難しい。毎回口の中を切ってしまう。
しかしそんな稽古の中から僅かではあるが掴み取れそうな感覚がある。瞬時の重心移動の感覚である。動かずに相手の攻撃を封じる為には瞬時の重心移動が鍵となるように思われる。
相手の攻撃のラインに瞬時に重心移動させ、自重(重力の最大限の活用)によって攻撃を封じ、その攻撃のパワーを相手に転換することが可能では、と考えている。
もちろん私自身まだそこまで出来ていないので仮説ではあるが、現在の私にとっては重要な感覚ではある。
 

雑感

 投稿者:ロン  投稿日:2006年 3月12日(日)22時42分14秒
編集済
  あらゆる武術は接触から始まる。
突き、蹴りの打撃も相手に接触してから威力が伝わる。崩しも投げも関節技もそして寝技もすべて相手との接触から始まる。
何を当たり前の事を、と言うかも知れない。しかし接触という二文字を意識することによって打撃、投げ、関節、(寝技)を区分けすることなく一つの流れとして同じ身体操作、同じ意識で行えるのでは、と思っている。
すべての技法を接触として定義してしまえば打撃から投げあるいは関節、投げの体勢から打撃あるいは関節等、状況によって自在に変化する動きを無理なく追求出来ると思う。
そして最終的には接触した瞬間にすべてが終わる段階がある。それが形意拳の化勁の段階では、と考えている
 

雑感

 投稿者:ロン  投稿日:2006年 1月 8日(日)19時31分13秒
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  日頃思う事をランダムに書き記す。
○力を抜かなければ(必要な筋肉以外は完全に弛緩させなければ)力は出ない。

○軽い打撃だからこそ浸透する打撃になる。

○全身が一個のゴムの塊と感じることが自分には重要な感覚だ。

○相手のスピードが速ければ、相手のスピードに追いつく事より、相手のスピードを自分より遅くしてしまう方法を考えてみよう。

○足の裏全体ではなく、針ほどの僅かな点で身体を支えて立つことを心がけよう。それが本当に立てている事だと思う。

○打撃、投げ、関節技、等すべてが同一の動きで成り立っていると思う。それが状況によって変化するだけのような気がしている。

○連打、連撃は最初の一からはじまる。一を封じ込めれば連打、連撃は単打、単撃にしかならない。そこから内家拳の攻防がはじまると思う。よって相手を向かい入れ、付き従う感覚が必要になってくる。相手を一方的に拒否してはいけない。
 

雑感

 投稿者:ロン  投稿日:2005年12月18日(日)22時48分28秒
  最近、バランスについてよく考える。私が考えるバランスとは外面バランス(静態、動態)と内面バランス(意識、意念)のそれぞれのバランスの確立と調和の事である。
形意拳では六合と言って昔から重要視されてきた概念である。口では簡単な事のように思われるが六合を深く掘り下げれば掘り下げるほど、自分が立つ事すら六合の要求を満たしていない事に気付かされる。この歳になっても自分はまだ満足に立てていないのだ。ましてや自由な攻防での六合などはほんんど論外だ。全く満足できる状態にはない。
しかしだからこそ遣り甲斐がある。私の理想は一瞬の接触で全てが完結する攻防である。相手になにもさせずに終わらせる為の方法論の一つに六合の概念がある、と私は考えている。
 

雑感

 投稿者:ロン  投稿日:2005年11月 2日(水)11時21分42秒
編集済
  ○形意拳の沈身を体得する為には骨盤の縦回転を理解する事が必要だ。

○攻防には遠距離、中距離、近距離、粘距離の戦いがあるが、内家拳は近、粘の距離を得手としている。しかし、遠、中距離の戦術を理解出来ていないと、近、粘の間合いに相手を引き込むことは難しい。

○相手に打撃した瞬間に打撃部位の角度を変化させることによって、浸透力を高める方法がある。馬形拳の応用としてよく使用される。
 

雑感

 投稿者:ロン  投稿日:2005年10月13日(木)20時10分39秒
編集済
  内家拳では相手を固定して打撃する技法が多い。相手を固定する事によって衝撃を逃がすことなく伝達できる為である。自分と相手の手足を接触させ固定状態を作るわけだが、三つの段階がある。
①相手に接触し、相手の動きを制限しての打撃
②相手に接触し、相手のバランスを崩しての打撃
③相手に接触し、相手の重心を奪い、完全に無力化しての打撃

以上、私も全て出来るわけではないが、近づくべき理想として書き記す。
 

雑感

 投稿者:ロン  投稿日:2005年10月11日(火)19時17分24秒
編集済
  今回は気分を変えて思うことをランダムに書き記そうと思う。

○組み技系の間合いでの打撃について今以上に研究する必要がある。接触した腕、身体から、相手を拒否せずいかに打撃するかが、今の私の課題になっている。

○脱力は力を抜く事だか、内部感覚はふにゃふにゃではいけない。内部から外部に向かって膨張する感覚が脱力には必要である。

○相手に打撃されたら、被弾した瞬間に内部で力の方向性を変え、衝撃を逃がしてしまう。打撃の衝撃を飲み込む感覚が必要で、瞬時の反撃は飲み込んだ衝撃を相手に吐き出す感覚を持つとよい。

○正面の相手に対する攻防技術と、側面、背面にいる相手への攻防技術は多少異なる場合がある。多角的に相手を想定することにより、より立体的な攻防技術が掴めると思う。
 

雑感

 投稿者:ロン  投稿日:2005年 9月30日(金)11時08分53秒
編集済
  最近、格闘技と武術について考えることがある。よく格闘技はルールがあり、武術はノールールだから良い、との意見があるが私はそうは思わない。表面上の差異を見ても両者の違いはわからないと思う。
端的に両者の違いを述べると、格闘技はいかに勝つか、を追及し、武術はいかに負けないか、を追及している点にあると思う。なんだそれだけか、と思われるかも知れないが実に重要なことで、これだけで戦術、戦略に決定的な差異が生じる。
この観点から、格闘技、武術を見ていくと、両者の長所、短所が分かってくる。どちらが優れているか、という比較は何の意味もない。両者の思想を理解し、自分の考えを深める事にこそ意味がある。
 

雑感

 投稿者:ロン  投稿日:2005年 9月30日(金)10時40分0秒
編集済
  練精会では内家拳の身体作りを三段階に分類している。
第一段階 脱力体
第二段階 連動体
第三段階 統一体
実際にはこれらの段階はお互いにリンクしているので、明確に分ける事は必要ないが、意識としては分類が必要である。
三段階を説明していくと一冊の本がかけてしまうので、要点のみ簡潔に記す。
脱力体 あらゆる状態でも筋緊張させない身体を作り、重力を最大限に活用する。
連動体 身体を細分化(九宮勁)し、動きの際は細分化したパーツを全て連結させ、脱力によって生まれるエネルギーを増幅させる。
統一体 動き全てが統一された身体。完全バランス体と言い換えても良い。動くだけで全てが技になる状態。

第一段階、第二段階は分けてというより、同時進行で練り上げる事の方が理解しやすいと思う。第三段階については私自身到達していない理想の段階である。
他の内家拳の理論とは異なっているかも知れないが、私が経験を通して感じる三層の功夫の理論である。
 

雑感

 投稿者:ロン  投稿日:2005年 9月16日(金)22時17分17秒
  身体のパーツについて考えてみよう。内家拳では九宮といって身体を九つのパーツに分類することがある。九宮とは上肢の肩、肘、手、下肢の股、膝、足、そして胴体部の胸、みぞおち、丹田の事である。この中で胴体部の三つのパーツに注目してみよう。胴体を一つの動かない箱ではなく、三つの可動性、可変性のあるパーツと意識することによって、手足の動きに胴体の動きを伝え勁を増幅することが可能となる。  

雑感

 投稿者:ロン  投稿日:2005年 9月 6日(火)22時39分22秒
  最近、一人稽古の時の五行拳は慢練で練る事が多い。ただゆっくりおこなうのではなく、極力手足は脱力したまま、手足を胴体で制御するように動かす。言うなれば自分の意思では動かない手足を胴体の伸縮、開合、捻転でマリオネット人形を操るように動かす感覚である。
この慢練によって胴体部の勁を練り上げる事と、胴体部の勁を四肢に伝達する感覚を高める事が出来る。そして胴体部の勁の中心となる場所は丹田である。丹田より四肢が生えている感覚が重要だ。
 

雑感

 投稿者:ロン  投稿日:2005年 9月 3日(土)21時33分6秒
編集済
  打撃部位について考える。攻撃の際、意識的にしろ無意識的にしろ、拳、掌、肘、膝、足等、何処の部位で打撃するのか選択している。それは悪い事だと思わないが、攻撃がかわされた際、ほんの一瞬だが次の攻撃部位の選択の際、意識にタイムラグが生じる可能性がある。常に同じ打撃部位のみ使用するならば問題はないが、粘の攻撃を中心に考える内家拳の場合、攻撃部位を事前に決め付けすぎるのは動きの制限を招くことになりかねない。
そこで逆の発想をしてみよう。相手に自分の打撃部位を決めさせてしまうのだ。相手の動き(反応)によって無意識に打撃部位が変化し続けていく。極端に言うと攻撃が当たってから何処の部位がヒットしたか理解する感覚である。
このような意識を持つ事によって、拳、掌、手首、前腕、上腕、頭、肩、胸、背、腹、股、大腿部、膝、脛、脹脛、足首、足、あらゆる部位での流れるような攻撃が生まれるのでは、と思っている。
その為には胴体の動きと重力の活用が鍵となる。胴体からの勁が無いと上記の攻撃は有効に作用しない。
 

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