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言論の自由

 投稿者:T.Fujii  投稿日:2016年 3月 4日(金)12時08分29秒
   久しぶりです。今、アメリカでは大統領の予備選で大変な報道合戦ですが、ワシントンポスト紙等が、共和党のトランプ氏を名指しで非難、大統領にすべきでないと1面に堂々と書いていますし、イギリスの新聞まで他国の大統領選に言及して、候補を代えるようにすべきだと書いています。翻ってわが国のジャーナリストはこぞって、マスコミは言論の自由を大切にし、電波上では政治問題において、左右に偏った意見を公表しないことが必要と言う。放送法で禁止されてしかるべきはNHKのみで、他のマスコミは、自由に発言できるようニスべきだとは、一言も発言しない。少なくとも電波上では。
 偏向しないように! 偏向しないように! 全てのマスコミが、実行した結果はどうなった?芸の無い芸人がやたら騒ぐ番組ばかりが、プログラムを占領して、今やテレビから骨ある一般大衆はそっぽを向いてしまったではないですか。ジャーナリスト達は、高市大臣の発言だけにとらわれて、肝心の言論の自由を縛っている根本問題には、少しも目を向けていない様に見えます。 言論の自由とは、一体なんでしょう。アメリカの自由の精神は、自らが勝ち取ったものですが、日本は終戦後与えられたものとして広まったので、その違いが出ているのでしょうか? もう戦後70年です。自らの言論の自由を真剣に考えるときは十分にあったと思いますが、皆さんは如何お考えですか?   
 
 

会長のサンタ姿を求めて

 投稿者:愛知ロータリーEクラブ 岡田竜治  投稿日:2015年12月25日(金)09時44分31秒
  突然の書き込みをお詫びいたします。高橋さまより年末家族クリスマス例会のお話を頂き西岡会長のサンタクロース姿を是非にと思い貴クラブHPを拝見させて頂きました。
残念ながら、発見できませんでした。
長期にわたる留学生プログラムのページは圧巻でした。
有り難う御座いました。

http://aichi-eclub.jp/

 

最近のロータリー

 投稿者:ODA  投稿日:2015年10月28日(水)22時02分50秒
  ロータリークラブの本質は何か? 最近ふと考えることがある。4人で始めたクラブは異業種の集団で会話を楽しみ、親睦を深めることが目的だった。
いろいろな考えを持った人が会話をし、議論することが最大の目的だったと考えると、今のクラブは少し方向性がずれているような気がしてならない。

 

本来の姿

 投稿者:ODA  投稿日:2015年 7月 1日(水)23時23分4秒
  会長の新年度活動方針あいさつの中で、本来のロータリーのあるべき姿を追求姿勢におおいに期待した。
例会に出席し、会員相互の親睦を深めることが本来の姿であるという言葉には、
現在のロータリークラブに一石を投じた気がする。

例会に出席して、会話をたのしみ「親睦」を深めることが本質であるなら
会員全員で例会に出席しておおいに「会話」を楽しみましょう


 

親睦と例会出席

 投稿者:T.Fujii  投稿日:2015年 5月24日(日)17時09分15秒
   今週、ロータリーの通常例会は、家族会のため休みとなっています。そこで、空いた時間に親睦と例会出席について考えてみたいとPCに向かいました。
 「親睦」と「例会出席」はロータリークラブにおいては、最も大事な基本でした。
ロータリーで言う「親睦」は、一業種一会員制によって自らが何の不利益をこうむることなく、各自の業界における職業上のノウハウを話し合い、また他業種の知恵を吸収することによって会員それぞれが日々進歩し、友情を高め、職業奉仕にフィードバックさせていくことを意味しています。従って、一般社会で言う親睦とは意味を異にしています。飲み会や、趣味の会における親睦とは相容れない概念です。この意味において、「例会出席」の意義も重要であることが理解できてきます。
 然るに、最近のRIは自ら「一業種一会員制」を破棄し、会員増強と財団の基金集めに奔走しています。「一業種一会員制」を破棄した時点で、もはや「親睦」も「例会出席」の意義もその理論的基盤を失ってしまいました。もはや世間一般に存在しているNPO法人となんら変わらない一奉仕団体に、成り下がってしまったのです。いや、これ程の多額の費用を必要とするロータリーの活動は、自己満足の域を脱していないとさえ思われます。他のNPOならもっと効率よくお金を使うことが出来るかもしれません。今や「ロータリークラブは金持ちの昼飯会」と揶揄されても返す言葉がありません。RI理事会は、一体何を考えているのでしょう?
 会長は、前回の例会に於いても、出席率のことを話題にされましたが、100%出席になんの意味がありますか? 会員増強は何を意味しますか?
 各ロータリークラブは独立した存在です。RI章典に反することが無い限り、地区からの要請? 指示?に従う論理的根拠はありません。もう一度初心に帰って、P.ハリスやA.F.シェルドンの理想に萌えた初期の話を聞こうではありませんか。このままでは、ロータリーを去ってライオンズを作ったメルビン・ジョーンズやService not self の言葉を残したF・コリンズも、また1930年にA.F..シェルドンもロータリーを去りました。この二の舞を避ける意味でも、我々だけは、もっと勉強しなければいけないと思いますが如何ですか?
 

「会員増強」雑感

 投稿者:T.Fujii  投稿日:2015年 2月 5日(木)14時39分8秒
   26年中に、この日本から10数クラブのRCが姿を消していったとの卓話があった。
驚きとともに、さもあらんとの感じが頭をよぎった。
 最近のロータリークラブは、RIの言い成りになっていて、言われるままに右往左往することが多く、各クラブは独立して活動していることを忘れているきらいがあった。
RIは各RCがロータリー章典に反する活動をしたときに初めて地区委員会やガバナーを通じて指導・勧告をすることができるのであって、現在のようにRIの決定を各クラブに強制する様なことは(実態はそのようになっている)、ロータリークラブ設立時の理念からして全く異常としか言いようがない。しかも、RI理事会の決定事項は、例え規定審議会で決定した事項であっても、再審議され、その結論が手続き要覧として発行されている筈だ。近年の手続き要覧を通覧すると、次第にライオンズクラブ的な発想が多く採択され、本来のロータリークラブの魅力が薄れてきている。これでは入会当時の魅力あったロータリーも色あせてしまい、「時代に即したロータリーに」と説かれても退会者が、しかも優良な人材の退会者が増えていくのは、致し方がないと言わざるをえない。必然的にクラブの消滅も増えていく結果になる。
 わがクラブは会長が、今年度の目標を「昭和のロータリーに戻そう」と掲げた意味もここにあると理解している。
 さて、皆さんはいかに思われますか?
 

わがまま

 投稿者:ODA  投稿日:2014年11月 8日(土)23時46分3秒
  温室効果ガスの排出が増加の一途をたどっており、このままだと30年後には取り返しのつかない事態に人類hが遭遇することになると警鐘を鳴らしている。
産業革命以降、生活向上のための文明の進歩が一方では地球環境の悪化を招くことになった。まさに表裏一体の月日を重ねてきた。17世紀以降今日までの平均気温の上昇が0.7度といわれている。排出ガスの減少がなければ今後30年間で平均4.7度上昇するという。
もしそうなれば、1980年代に公開された「猿の惑星」が現実味をおびてくるかもしれない。
これも、人間のわがまま!
 

昨日の一分間卓話

 投稿者:T.Fujii  投稿日:2014年11月 6日(木)10時16分6秒
   昨夜の1分間卓話の原稿をアップしておきます。

 6月4日はアメリカの大統領の中間選挙でした。今日その結果が分かると言うので終日何となく気になっていましたが、皆さんは如何でしたか?

 アメリカと言えば・・・、ロータリークラブが生まれたアメリカには、哲学らしきものと言えば、ただ一つ、プラグマチズムがあるのみです。この「プラグム」と言うのは「行動」を意味しています。ロータリーが実践を大事にするのは、当時もてはやされたこのプラグマチズムの影響があったと、想像されます。また、アメリカには、固有の文化と呼べるものは、せいぜい「アメリカンドリーム」位なものです。
 そして、「努力するものは、報われる!! チャンスは平等に与えられる!! 」これがその真髄ですが、
 19世紀末から20世紀初頭にかけてのアメリカは、残念ながら、金儲け至上主義に傾き、商道徳は忘れられ、だまされる方が間抜けと見なされる様な社会でした。そのような社会に反省の念を持った人が集まって、ロータリークラブが生まれたのですから、当然、「真のサービスを行う」、「自らの職業を正しく行う」、そして「個人がそれぞれ実践する」、と言った行動規範が、ロータリーの目的とされたのは、ごくごく自然の成り行きでした。
  現在のように、RIから色々と指示される事は、本来の成り立ちから考えて、非常に不自然な事態なのです。

  皆さんも、是非一度、ロータリーが生まれた頃のアメリカの歴史を学んでみては如何でしょう。この頃の知識が無ければ、めしいた人が像の腹をなでている様なもので、現在のロータリーばかり見ていたのでは、いつまでたってもロータリーを理解できないと思います。
  一度考えてみてください。
 

2014伊予市・セーラム国際交流

 投稿者:門田 眞一  投稿日:2014年 9月 3日(水)15時22分58秒
  2014伊予市・セーラム国際交流事業。16名の中学生たちは、8/16-27の日程で貴重な海外体験を行うことができました。現地のEdさん、Chuch 伊藤さんをはじめホストファミリー、そしてRI5100地区・セーラム8RCの全面的な協力のおかげです。

アレグラも3日間ポートランドから通い、ボランティアとして協力してくれました。ケィテイもレセプションに参加。私や息子の仁をワシントン州バンクーバメトロRCのメーキャプに案内してくれました。彼女は11月に出産予定です。

今朝、セーラム・伊予交流委員会のChuck 伊藤さんから、オレゴン州の地元新聞 Stateman Jounal がオンラインで送られてきました。

愛媛県伊予市の中学生派遣事業の紹介とともに、8月21日のセーラム市長Anna Peterson シティマネージャー LIndia Norris さんらも参加したレセプションの様子、ホストファミリー、生徒たちの歌やクイズなどのパフォーマンスなど大きく取り上げられています。伊予市の国際的な情報発信になったと思います。

愛媛県伊予市とオレゴン州セーラム市の友好親善の架け橋…。これまでの5年間80名の派遣中学生の国際交流体験が、必ずグローカルな次世代・伊予市を担う力になるように!

伊予RCの長期交換留学生事業が、着実に成果を上げています。


http://www.statesmanjournal.com/story/entertainment/people/mary-louise-vannatta/2014/08/30/cultural-exchange/14829069/
 

「人間になる」 (2)

 投稿者:T.Fujii  投稿日:2014年 8月30日(土)18時04分15秒
   3歳児未満は、おもちゃを共有して遊ぶことが出来ない、3歳を過ぎるころから、他人と共同する事が出来るようになる、そしてやがて協同作業ができだす・・・、この事を前回書きました。

 4歳からは、この協同作業が本格的に、しかもより積極的に出来るようになります。その手本は、相変わらず母親なのです。皆さんは小学校時代まで、学校から帰ってきた時、「ただいま! お母さんは?」といつも言っていた事を覚えていませんか? お父さんは?と言っていた人はいないと思います。しかも、男女ともにです。それ程に、子供にとって母親は大切な存在なのです。特に女の子は、小学校を卒業してもまだ、母親の背中を見て育ち続けます。日々の仕事、立ち居振る舞い、ものの言い方、父親に対する接し方等々、全てのこと細かいことまで、見て学んでいます。男の子は少々遅くなりますが、小学校高学年からは、母親の所作よりも、父親の行動に興味を持ち始め、それを真似し様とし始めます。しかし、これが自分の考えと違っているときには、父母の考えや行動が受け入れがたく、いわゆる反抗期が始まるのです。そして自我が確立していくときでもあるのです。

 人間性やものの見方・考え方、人間の品性を形成付けるのは、家庭において以外にはどこにもないのです。学校は、効率よく学問を教えるところであって、決して行儀作法や社会のエチケットを教えるところではありません。学校は一つの社会です。社会では守るべきルールが存在します。従ってルールは守るべきものとして、言い換えれば、自分の好き嫌いに関係なくルールは押し付けられてきます。授業の学科に倫理や道徳の時間があっても、それは自分が家庭で教えられたものを、学問的に体系付け、明確に理論的な知識として再認識させてくれるだけです。学校では人格形成の手助けをしてくれるだけで、まずは自らが家庭教育の中で身に付けねばならないのです。この事を理解しないで何でも学校が身に付けてくれると誤解しているやからが、いわゆるモンスターペアレンツになるのです。自らの責任を意識できず、なんでも他人に押し付けて生きている大人は、この意味では決して大人ではなく、一人前の人間とも呼べません。

 では、なぜ大人になりきれない大人が生まれてくるのかを考えましょう。
それは、遠く戦後まで遡らなければなりません。終戦時、焼け野原の中で当時の大人は、今まで聴いたこともなかった「自由」と言うものに直面しました。また、それまで信じてきた軍国主義教育から、聞いたこともない民主主義の世界にほり出されました。当時の先生は、学校では昨日まで正しいと教えていたことがまったく逆になり、何を教えてよいのか分からず混乱していました。当然、大人の中でもほんの少数の人しか子供に向かって、指導的な事が言えない状態でした。大部分は何が自由なのかさえ、理解できていませんでした。それらの人たちによって育てられた子供たちが、戦後のベビーブマーで、この人たちは、大部分が子供をどのように育ててよいか分からず、行き当たりばったりの育て方をしました。だからと言ってその人たちを責める事は出来ません。何しろ日々食べる事で精一杯だったのですから。
 さて、この時代に生まれた人は、どのように育てられたかの記憶がありません。即ち、人として一番大事な育てられ方を記憶してないのです。それでいて子供を持ってしまいました。どのように子供を育てるべきなのか知識も経験もなく、子育てをしますから、子供としても何も教えられずに育ってしまいます。当然、子供の事件が頻発する世の中になったのです。

 人間教育、特に「佳き人間になる」為の1スパンは、1年毎のカレンダーではなく、1ジェネレーション単位で考えなくてはならないのです。いま、戦争のツケが来ている事を認識しなければなりません。日本人の各家庭の言い伝えや習慣が、日本人の伝統文化につながっていくことを、そして「よき人間」を作ることを目指して、ロータリーは日々活動していることを忘れてはいけません。
 これは、私の意見です。

 

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