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昨日のクラブ協議会。時間どおり始まらず、欠席や遅れる方も多かったのは残念です。個々の事情を聞けば、仕事などやむ得ないことだったのでしょうが、やはり会合の時間についても集まりやすい時間を考えることも大事ではないでしょうか。しかし最近、こうした協議会も形骸化しているような感がしないわけでもありません。委員会も役割分担上に配属されていて、相互に意見調整などがされているでしょうか? 気がつくことは、会長・副会長・幹事に相談して、各委員会の委員長さんに対策をとってもらうこと。会社や組織でも、報告・連絡・相談(ホウレンソウ)は基本的なことだと思いますが。
例会の出席が相変わらず良くないですね。原因はどこにあるのでしょうか? 会員の意識? 仕事や健康などの事情? クラブの運営上の問題? いろいろあるのでしょう。問題は、どんな対策をとっているか、いないかではないかと思います。例会出席は、ロータリーの責務(会費・出席・雑誌)のはず。うるさく言われる先輩方も少なくなっている気がします。出れなくてもメーキャップでフォローされている会員もいるのですが、多くはそうなっていないようです。
ITで検索していたら、例会出席について、あわじ中央RCのHPに考えさせられる情報がありました。とりあえず、参考までに。
ロータリーライフの第一歩は、まず毎週例会に出席することから始まります。現在、①ホームクラブに半期30%以上出席、②メークアップを含めて半期60%以上出席、③連続4回以上欠席してはならないと規定されています。この規約は、会員身分を保障するための最低条件に過ぎません。ちなみに、連続4回以上欠席すると自動的に会員資格を喪失するという規定は、1905年3月23日、ロータリーが発足してからわずか3回目の例会で決められたものです。メークアップ制度ができたのは、ずっと後の1922年です。例会出席は、友情の証であり、四回も続けて休むような薄情な人に真の友情を期待することは不可能だとして、即、退会という結論が出たのです。
なぜロータリーは例会を強調するのでしょうか、クラブ奉仕部門の補助文献324号にそのことが記載されていますので紹介いたします。
1.ロータリーの原則であるところの知り合うこと親睦とは、クラブの例会に常に出席することによってもっともよく伸展させることができるのである。
2.彼の属する職業界にロータリーを代表することを承諾したロータリアンは、例会に常に出席することによってのみ、その職業に従う人々に持ち帰るべきロータリーからの土産を得ることができるのである。
3.充分知識のあるロータリアンになるためには、例会に出席してクラブのプログラムやその活動からロータリーについて学んでこそなり得るのであり、またクラブにおいて活動する一会員となることによって完全に同化されるのである。ロータリーにおいて活動することによってのみ、その特典を受け得るのである。
4.ゴルファーはリンクスで、ボウリングはアレィで、テニスはコートでそれぞれ球を追うことを練習するのである。これと同じくロータリアンがロータリーを習うべき場所は例会においてなのである。
5.ロータリーとは人々が集まり、各自の品を他の人々と交換して、その経験をさらに豊かにするところの宝を持ち帰る一つの市場である。したがって例会へは各自の商品である友情、親睦、微笑及び挨拶を持って出席し、逢う人ごとにこれらを提供し、その代わりとして、必ず到着した時よりも多くの精神的利益を得て帰途につくに定まったものである。したがって例会に出席しない人はこの有利な交換の機会を失うことになるのである。
ロータリーの奉仕哲学は「利己と利他の心」をたくみに調和させる哲学です。ロータリークラブが職業人の集団である以上、会員の事業の安定と発展なしにはロータリー運動を維持することはできません。ロータリアンの事業の安定を図る方策は、物質的互恵から精神的互恵を経て、職業奉仕の実践に移行し現在にいたりました。奉仕哲学を探究しつつ、永年のロータリー活動を通じて蓄積された膨大な情報こそ、ロータリアンの事業を発展させ、企業経営に健全に導く貴重な情報ともいえるでしょう。
善意に満ちたロータリアンが毎週1回集う例会は、あらゆる職業情報の交換の場でもあります。一業一会員の原則で同業者は排除されていますから、どんな深刻な問題でも機密事項でも、他に漏洩したり本人の不利になることなく、皆が真剣に相談相手になってくれるはずです。その前提になるものこそ、ロータリーの友情なのです。
アナハイムの国際協議会の会場入口には、「入りて学び、出でて奉仕せよEnter to learn, Go forth to serve」の看板が掲げられました。この言葉はロータリーの会合に参加するときには、その会合を通じてロータリアンとしての心を磨くという目的意識を持って参加し、会合を終えてコミュニティに戻れば、奉仕の心を実践に移すことを意味します。
米山梅吉は「ロータリーの例会は人生の道場である」と語っています。例会の目的は、職業上の発想の交換を通じて、分かち合いの精神による事業の永続性を学び、友情を深め、自己改善を計ることにあり、その結果として奉仕の心が育まれてきます。自己改善は終生続けられるべきですから、ロータリアンに定年はないし、ロータリー運動には終結もありません。例会出席がロータリーライフの前提となるゆえんはここにあるのです。
例会は、お互いが切磋琢磨して自己研鑽に励む貴重な修錬の場であるがゆえに、例会運営にあたる人は、事業に従事すべき貴重な時間を割いて例会に参加する会員に、それに値するメリットを与える義務があるのです。限られた時間の中で、いかに有益な情報を効果的に提供するかを真剣に考えて実行しなければなりません。参加者の心に深い感銘を与える内容であってこそ、例会出席の意義が満たされるのです。
例会の場を通じてロータリーの理念を学び、自己改善を積んだからこそ、下請業者や従業員や顧客の犠牲のもとに不当な利潤を追求したり、後ろめたい気持ちで濡手に粟の暴利を貪るよりも、企業モラルの昂揚を目指しながら、信頼に基づいた継続的な取引の中から適正な利潤を得ることが、事業を成功に導く道であることに気づいたのです。
例会で学んだ奉仕の理念を、自分の職場に活かすとともに、自分が属する業界に広め、地域社会全体の職業モラルを高めることが職業奉仕だと考えれば、例会を休むことは、自分自身はもちろんのこと会員全体に、さらに地域社会の全てに大きな損失を与えることになります。
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